マイホームでのくつろぎ方

  • 『住生活と住教育』という本のなかでつぎのような記述を見つけた。これはさり気ない調子で書かれているが、日本人の住まい観を探る上で重要だと思う。「アメリカ人もくつろぐときにはもちろん靴を脱ぐか、スニーカーや楽な上履きに履き替える。がしかし、靴というのは洋服と同じで、身につけていることで相手に対して毅然としていられるといい、これが彼ら(男性)にとって結構重要なようである」わたしたち日本人には、マイホームに「毅然とすべき」場所や「他人行儀、他人の間柄」でいなければならない場所などが存在するということは信じられないことだ。マイホームはすべてリラックスできる空間であり、そうでなくてはマイホームとはいえない。そう思っている。この落差の意味するものは予想以上に大きいのかもしれない。

●家には「靴も脱げない」という緊張が必要だわたしは『群体」という小説を書いたことがある。群体というのは、たとえばアリやハチといった群れでしか生きられない生命体のことである。アリは一匹では存在できない。群れとして行動をともにして、それぞれが役割分担を果たさなければ全滅してしまうのだ。戦う役目、餌をとる役目、子孫を生産する役目と仕事が決まっている。
つまり、一匹のアリが集まり群れているのではなく、その群れそのものが一匹の生命体なのである。そこには「個」はない。個があるとすれば群れそのものだ。もしあるアリの群れが別のアリの群れと戦うことになったとき、初めて群れは「個」体を意識して他の「個」体と闘うのだ。いうまでもなく家族とは群体ではない。
家族そのものは「個」ではなく、メンバー一人ひとりが『個」なのである。だから家族の目的はその個を存続させることにある。メンバーそれぞれの、とりあえずの生存基盤を保障するのが家族の目的だ。だから親は子に自立へ向けた早い成長を望む。近代の家族は個の集合体だ。個の集合体である家族にはそれらが集う場が必要となる。それが公的空間である。